戸山英二が語る半世紀を越えるカンツォーネの歴史
戸山英二氏がイタリアに渡り、実際に見聞き体験してきた半世紀を超えるカンツォーネの歴史と日本での普及について、戸山英二氏自身の言葉で語ります。
会長 戸山 英二
武蔵野音楽大学声楽科1年在学中にシャンソンの殿堂『銀パリ』のオーディションに合格、レギュラー出演。1961年石井好子音楽事務所第1号専属歌手として活躍。その後、イタリアのサンタ・チェチーリア音楽院に留学。「太陽がいっぱい」「ロメオとジュリエット」の作曲家ニーノ・ロータ氏とアルフレッド・ヴァンティフィオーリ氏に師事。26年間イタリアのローマに在住、カンツォーネ歌手として数々の国際音楽祭で受賞。レコード会社RCAイタリアーナの専属歌手として26年間活躍。帰国後『日本カンツォーネ協会』を設立。
1.カンツォーネ元禄
戦後の混乱に一区切りがつき、イタリアに外国からの観光客が増え、経済が豊かになり出した50年代の前半は、カンツォーネへの外国からの影響といっても、アメリカのクルーナやフランスのシャンソンであったから、甘美さに色がついたくらいで、それほど変化があったとは見えず、情緒てんめんとしたラブソングが増える。戦前からあるにはあったが、カンヌ、ニース、モンテカルロの大歓楽地に伍して観光客を招致すべく客のディナーショーとして企画されたのがサンレモ音楽祭である。かつてナポリの名物だったピエディグロッタの歌のコンテストを真似て、プロ歌手に歌を競わせる趣向のショーの1951年第1回の出場歌手は、女性のニッラ・ピッツィと男性のアキッレ・トリアーニに、女性デュエットのドゥオ・フザーノのたった4人。彼女らが入れかわり20曲を歌っただけだったが、RAI(イタリア国立放送)がタイアップして放送したために、まだ欧州全体が娯楽に飢えていた時期であり、2月末の話題のない冬枯の時節でもあったために、入賞曲がヨーロッパ各地で歌われたりインストルメンタル化されたりしてヒットした。イタリアのレコード会社がこのおいしい話を見逃すはずはなく、第3回以降、参加会社や歌手は増える一方で、第4回からは審査員は一般人が参加、第5回からは音楽出版社のユニオンが正式に協力することとなって、御大クラウディオ・ビルラまで担ぎ出す(彼は肝心の当日にインフルエンザとなり出場せずレコード演奏だったが、絶大な人気のために彼の歌うはずだった「悲しみよ今日は」が1位、「急流」が2位を占めた。
まだ人気を保っていたナポレターナも負けじと1年遅れて音楽祭を始め、こちらからもヒット曲が生れた。
さて次回は「カンツォーネの新しい展開」ドメニコ・モドゥーニョ。偉大なシンガーソングライター。イタリア語ではカンタンテ(歌手)とアウトーレ(作曲家)を接続してカンタアウトーレと呼ぶ!
死去した現在でもデビュー以前が謎に包まれ、ジプシー貴族との説もある。サンレモでの第6回目の「ヴォラーレ」が大ヒットし、ミスターボラーレとなり世界的なカンタアウトーレとしての地位を作り上げた。
次回をお楽しみに…
音楽評論家 河合秀朋氏(元キングレコードプロデューサー)
昔よく語り合った人で、もう1人の音羽たかし氏(元キングレコード常務・訳詞家・プロデューサー)と3人で以上のような話合を良くしたものでした。
2022年7月28日
記 日本カンツォーネ協会 戸山英二
2.カンツォーネ界の新しい展開
カンツォーネを甘美の泥沼から救ったのはドメニコ・モドゥーニョだった。
この偉大なシンガーソングライター…イタリア語ではカンタンテ「歌手」とアウトーレ「作曲家」を接続してカンタウトーレ(複数の場合はカンタウトーリ)と呼ぶ…は、デビュー以前から他界した現在に至るまで謎に包まれ、ジプシー貴族との説もあるが、デビュー当時から大家の風格を持ち、独特の強烈な個性の歌で次々に大ヒットを生んだ。モドーニョの生まれは南イタリアのプーリア地方アドリア海側最先端のブリンディスである。彼の自作自演した第8回目のサンレモ優勝曲はリフレイン最初の文句「ヴォラーレ(日本語で「飛ぶ」)が世界的に大ヒット。彼自身の歌で全米ヒット第1位の外国人歌手初のミリオンセラーとなり、彼はこの年に設立されたグラミー賞第1回受賞者となった。モドーニョがカンツォーネ界に与えた影響は絶大で、彼の成功に続けとばかり、ジーノ・パオリ、セルジョ・エンドリゴ、ルイジ・テンコ、ウンベルト・ビンディ、ピーノ・ドナッジョ、トニー・レニスといった逸材、奇才、異才のニュータイプのカンタウトーリが次々に出現し、1955年を期に空前のカンタウトーリブームが開幕する。
それと相呼応して、アメリカからシャウトシンガーブーム、次いでぐんと強烈なロックブームが到来し、トニー・ダララ、ミーナ、アドリアーノ・チェレンターノという前代未聞の強烈な個性が現れ、壮観な60年代の黄金時代へと突入する。
また、それまではレコードは室内でしか聴けなかったものが、ポータブルとジュークボックスの普及で様変わり。サマーバカンスで都会が空になり、セールスがまったく期待できなかったサマーシーズンが一転してかき入れ時期となり、夏に似合った、ニコ・フィデンコ、リタ・パボーネ、さらにジャンニ・モランディといった歌手たちが輩出する。
戸山英二 記
次回はカンツォーネのコンテストブーム